たいせつな人がこの世を去ってしまっても 愛は今も此処に存在している


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人を純粋に愛するというのは

苦しいことだ



わたしは

いつだって

愛する人を失った苦しみと

愛する人を失うかもしれない恐怖とに

つきまとわれている




いちばん恐れているのは

たいせつな人の声が

二度と聞けなくなること




だけど

二度と消えることのない苦しみと恐怖を超えたところに


とてつもなく 

さみしいけれど


どうしようもなく

あたたかなものがあったんだ



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中学1年の夏休み

祖母が亡くなり


たいせつな人の声がもう二度と聞けなくなる苦しみを初めて体験した





高校1年の春休み

父が亡くなり


「父がいなくなって寂しい」「悲しい」とすら感じないまま

ずっと感情を抑圧して生きていた



当時のわたしには

喪失の苦しみをリアルに感じることに耐えきれなくて

無意識に心の奥に隠していたのだろう






10年前に出逢った夫がカウンセラーの先生に師事していたので


過去のたくさんの抑圧感情の蓋を開くのを何年もかけて手伝ってもらい


「父を亡くして寂しい」と感じていること

深い悲しみが心の中にあることに

やっと氣づけたのだ





夫が一昨年の秋に亡くなり

もう二度と声を聞けない苦しみを再び味わうことになった




どんなに謝りたくても謝れない


どんなに話したくても話せない


あんまりではないか?!


これほどの苦しみを再び味あわなければならない日が

こんなにも早く来るだなんて?!





いたらない自分自身の愚かさ無力さを罵り

罪悪感に打ちのめされ

悲しみに打ちひしがれ


「ごめんなさい」と何度叫んでも

返事は返って来ない



泣き叫び

涙を流し続けた





いつしか

心の奥から湧き上がってくるのは

「ありがとう」だけになった




そのとき

ふとわかった氣がした




喪失の苦しみがつきまとい

心と身体が痛むのは

確かにほんとうなのだけれど




耳の奥から

胸の奥から

愛する人たちの声がきこえてくる



それは

どこまでもやさしくて

しずかで

おだやかな

あたたかな声




ぬくもりを肌で感じることはできないし


声を耳で聞くことはできないけれど


愛を感じることはできるのだ





たいせつな人がこの世を去ってしまっても


愛は今も此処に存在している






幼い息子が小さな手を自分の胸に当てながら言ってくれた


「お父さんはここにいる」


「お父さんが護ってくれているからね」


「だいじょうぶだね」






雲や雨が覆い尽くして

観えていなくてもね


雲の上には

いつだって青空が広がっていて

星たちも瞬いている




罪悪感や恐怖は嵐のようなものだ




子どものように澄んだ心で観じれば


青空のように

愛はいつも此処に在るとわかる




。・゚♡ 。・゚♡ 。・゚♡


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天熊竹 Amanokumatake

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