自分の内なる情熱や愛に基づいて生きる生き方にシフトする
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あなたは普通じゃないですよ
普通じゃないと困りますよ
みんなと一緒に普通にしていないと嫌われますよ
団体行動の妨げになる「普通じゃない人」がいると、みんなが迷惑しますよ
ここは、「普通枠」からはみだしたら、「普通じゃない人」と判断する社会なのですから、みんなに合わせてくれないと周りが迷惑するのですよ
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なんて狭っ苦しい愛のない社会なんだ!
と憤りを感じるのかい?
では問うが
御前の中には、このように判断する考えが少しもないと言い切れるのかい?
目の前の現実は、自分自身の心を映し出す鏡のようなものなのだよ
自分で自分を責めていたり
他人を責めていたり
許せないと思っていたり
執着していたり
そのようなネガティブな想いも現実世界の中に反映されるのだ
だから、他人を責めても、社会を責めても、何一つ解決しないのは当然だ
他人を変えたかったら、現実を変えたかったら、まず自分自身の心を変える必要があるということだ
黙らせる必要があるのは、レッテルを貼ってくる人たちではない
自分の心の中にいる裁判官のような思考なのだ
御前がどんなに自由にのびのびと生きようとしても、「そんな生き方をしたら他人に嫌われる、愛されない。愛されたかったら、他人に迷惑をかけず、役に立つことをして認められるように努力しろ!」とまくしたててくる裁判官がいるはずだ
たしかに一理あるのだが、そこには主体性が欠如している
常に他者目線で生きる自分に、本当の喜びがあるのかい?
人間は主体的に生きて初めて、自分の奥から湧き上がる情熱を表現できる
そこには、ほんものの喜びを感じるし、心に響くものになる
反対に、いくら完成度が高くとも、主体性や情熱が欠如している表現には、自他ともに感動や喜びを感じさせるような魅力が欠けている
結局のところ、本当に認められたかったら、自分の内なる情熱を本氣で表現していくしかない
裁判官の思考の根本にあるのは、罪悪感や恐怖心だ
恐怖心から逃れるためにする行動は、主体性がないから虚しい上に、どこまでがんばっても恐怖心がついてまわる
他人を変えたかったら、自分自身を変える……とは
裁判官の言うなりになる生き方から、自分の内なる情熱や愛に基づいて生きる生き方にシフトするということだ
南瓜たちがぐんぐん伸びていく
美味しい実が育つといいね
また子孫をつなぐ種を実らせられるといいね
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