なぜ時間に追われているのか?


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人間が社会生活を営むためには

時間が必要だ



時間の制約によって

計画的かつ効率的に物事が進められるし

約束の期限を正確に守れるようにもなる



時間の概念によって

人間の文化的な進化発展が支えられている

と言っても過言ではないだろう




時間という概念には

このような高い利用価値というメリットがある反面


多くの人が体験していると思われるのが

「時間に追われる」

というネガティブな感覚である




わたしもこの感覚に

たびたび襲われてきた



一旦この感覚に陥ると

焦燥感や苛立ちが生まれ

悪化すれば精神的にも肉体的にも追い込まれていく




では

現代人が時間に追われずに生きるには

一体どうしたらよいのか?




ピアノのレッスンを始めて6日目になるが

「時間が足りない!」

という感覚が

これまで以上に強くなって来ていた



これまでの自分の自由時間は

編み物に集中していたが

その時間を削って

ピアノの練習時間を作るのだから

「時間が足りない!」

と感じてしまうのは当然と言えば当然なのだが…




あらためて内観すると


「もっと練習時間が欲しい」


つまりは


「1日当たりの練習時間が足りない」

「1日当たりの制作時間が足りない」

と感じている



それは

「もっと 早く上達したい」

「もっと たくさん制作したい」

からで


その欲がなければ

努力するエネルギーが湧かないのも事実




だが

仕事のノルマや契約のために時間の制約がついてまわるのはやむを得ないけれども


「自分が楽しいからやりたい」

ライフワークに関して

1日のノルマを氣にしてしまうのは

結果を求め過ぎているからかもしれない




過ぎてしまえば

結果に執着するから

焦る氣持が生まれる



焦るから

「もっともっと時間が欲しい」

となる




目標や成果を楽しみに努力することが悪いわけではなく


結果に執着するあまり

今やりたいことをやっているのに純粋に楽しんでいないのは本末転倒ということ







そもそも

時間というのは

人間の思考が作った概念にすぎないのだし


何時いつまでに

これをやり遂げたら

人間の価値が高くなるとか

すばらしい最期を迎えられるとか

そのような成果で

人生の価値が決まるわけではないのだから


結果に執着して時間に縛られているって

いったい誰のために生きているの?





ほんとうに

たいせつにしたいことがあるならば

時間の枠組みから飛び出して


無邪氣に楽しもう!


自由を謳歌しよう!




ほんとうにたいせつにしたいことを楽しむ自由を得るために

時間の枠組みの中では

真剣にがんばるのだ




真剣にがんばる


そして


夢中になって自由に楽しむ





この一生を最大限に生きたいから


より多くを成し遂げることよりも


夢中になったり

あいする人と過ごしたり

…密度の濃い時空間…

をたいせつにしたい





志なかばでこの世を旅立たれた夫の生き様から教えていただいた



「志なかば」というのは

物理的な次元での話であって



人間がその命を「生ききる」という

目に見えぬ次元においては

いかに純真に瞬間瞬間を生きたかどうかがたいせつ





「純真に生きる」

という人間の尊厳を尊ぶことで

結果に執着する思考を超越できる



田舎暮らしだから

できることがある……



夫が熊野を移住先に選んだわけは

いつも目の前にひろがっている……




。・゚♡ 。・゚♡ 。・゚♡


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天熊竹 Amanokumatake

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