自分の現実は 自分のこころが映し出された鏡のようなもの
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自分の辛さなんて
もっと辛い境遇の人に比べたら
取るに足りないちっぽけなものなんだ……
と自己否定したりして
自分自身のきもちを
ないがしろにしなくていい
いや
むしろ
自分自身のほんとうのきもちを
ちゃんと聴いてあげなくちゃ
だって
日本中に
世界中に
辛い境遇の人は
数限りなく存在していて
辛さを「比較」し始めたら
終わりがない
この世に数限りない程の苦しみが
存在するからこそ
思考で「比較」することを超えた自分の真心に
しっかりと向き合うことが
たいせつなんだ
だから
もしも
「あなたの辛さなんて、わたしの辛さに比べたら大したことないくせに。」
「あなたの苦しみなんて、世界中で苦しんでいるたくさんの人に比べたら取るに足らない。」
と
たとえ批判されたとしても
そういう視点で考えれば
確かにその通りだけど
だからといって
自分自身のこころを
たいせつにすることと
ないがしろにすることとは
関係がないから
自分の現実は
自分のこころが映し出された鏡のようなもの
だから
自分が自分の存在そのものを
無条件に愛していなければ
体験する現実は
愛のない現実になる
自分自身の真心をたいせつにすることは
すべての存在をたいせつにすることに
つながっているんだ
.。 *゚
一隅を照らす
あたたかな
やさしい光を放ち続けたい
.。 *゚
感謝があふれて
涙になってこぼれた
原始仏教経典
『スッタニパータ』
143 究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。能力あり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ。
144 足ることを知り、わずかの食物で暮し、雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の(ひとの)家で貪ることがない。
145 他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
146 いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く、長いものでも、大きいものでも、中ぐらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、
147 目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでもすでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。
148 何びとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。
149 あたかも、母が已が独り子を命を賭けて護るように、そのように一切の生きとし生れるものどもに対しても、無量の(慈しみの)意を起すべし。
150 また全世界に対して無量の慈しみの意を起こすべし。上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき(慈しみを行うべし)。
151 立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥つつも、眠らないでいる限りは、この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。
この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。
引用文献:『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳, 岩波文庫
第1 蛇の章 八、慈しみ
(究極の理想に通じた人の行うべきこと)より
ありがとうございます
。 *゚
糸が編みあがって作品になるって
たのしいなぁ…(*´▽`*)フフフ♪
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まゆぱかちゃんの店です
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たのしく
あたたかく
愛に満ちた毎日でありますように. *゚♡
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