「悲しい父の日」が「感謝の日」に変わった
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父の日が嫌いだった
保育園で父の日に
お父さんの似顔絵を描かされた
酔っ払いだったり
不機嫌だったりする父の顔を
思い出しながら
黒いクレヨンで
テンテン
テンテン
不機嫌な顔に不精髭を描いた
父の日を祝ったことなど
一度も無い家だった
しかし
わたしが中学1年のとき
父が身体を限界まで壊して改心し
アルコール依存を
やめることができた
それから
父との関係は日に日に良くなって
「父をたいせつな存在」
と感じていた
でも
父の日には照れくさくて
特に何もしなかった
父はお酒をやめられたときには
長年に渡るお酒の飲み過ぎで
すっかり身体を壊していた
闘病の末
わたしが16歳のときに他界した
「もっと一緒にいたかったのに……」
「お父さんがいなって さみしい……」
という感情を
まともに感じたことはなかった
こころの奥に押し込んで
感じないようにして生きていた
悲しみを感じないようにした代わりに
大人になってからのわたしは
「たいせつな人を失うのが怖い」
という恐怖心が強くなる一方だった
恐怖心に振り回されていたために
紆余曲折あり
いつしか
自業自得の結果
不幸な道を突き進んでいた
そんなとき
地獄から救い出してくれたのが
夫だった
どん底まで堕ちて
どうしようもなくなったわたしを
見るに見かねた父が
夫を引き合わせてくれたのではないか……
と感じている
父が他界して
何年も経って
こころの底から
「お父さん ありがとう」
と言えた
父への感謝の想いがあふれて
あたたかい涙を流せたのは
夫の導きがあったからだった
それから6年後
夫がこの世を旅立たれた
父の日は
とても悲しくて
とてもさみしい日になった
だけど
夫がこの世にいなくなって
3年半が経ち……
夫と息子たちと過ごすことができた父の日を思い出せるようになりつつあり……
プレゼントを用意することもなく
ご馳走を作ることもなかったけれど
父母といたときも
夫と子どもといたときも
とても とても
あたたかい
かけがえのない時空間で
感謝しかなく
わたしの罪悪感など
取るに足らなくなるほどに
being の愛が
すべてをつつんでいた
ありがとう
ありがとう
どうぞおみまもりください
すべての父の日に
ありがとうございます
。 *゚
糸が編みあがって作品になるって
たのしいなぁ…(*´▽`*)フフフ♪
天熊竹のハンドメイドショップ♪
まゆぱかちゃんの店です
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たのしく
あたたかく
愛に満ちた毎日でありますように. *゚♡
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