ほんとうの意味で 「懺悔する」とは たましいに誠実に生きること


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罪を懺悔しても… しても…



「自分を赦せない」

という声は

心の中で叫び続けるかもしれない…



「自分なんかが幸福になる資格はない」

という声は

消えることはないかもしれない…




しかし


その声の言う通りに

不幸でいたところで

罪を犯した過去が

消えるわけではない





しかも


重要なのは


自分を貶める声の言うなりになって

生きる限り


ほんとうの意味での懺悔はできない






ほんとうの意味で

「懺悔する」とは


たましいに誠実に

生きることなのだから







自分を貶めて

不幸なままでいさせようとする

外野の野次馬(エゴ)の

言うなりになって

どんなに心の中が汚れてしまっても


たましいが穢れることはない






たましいを

H2Oに例えれば…



たましいは純粋な水のように

まっさらなままだけど


心の中には

いろんなものが溶けていて



それが汚い濁り水になることもあれば


芳しい風味の水になることもあり…





心が汚く濁っていたら

「元々たましいは純粋な水」

という「本来」が

観えなくなってしまう





だから


毎日

毎日


自分がどんな状態の心なのかを

観て


本来のまっさらなたましいを

観じよう





まっさらな水が

たましいの源泉から湧き出でている…


この清らかな幸福感を

忘れずに生きていたら


周りの存在と

和することができる





自分や相手のたましいに

和して


自分や相手の中の悪魔には

同ぜずに生きる



それが

ほんとうの懺悔





和して同ぜず

同じて乱をなす




過去の罪や

未来への恐怖で

自分を縛っておこうとする野次は

無視する



そうすれば


おのずと

いま目の前のしあわせに

氣づける



いま生きていられるのは

奇跡の連続の結果だと

感謝が湧いてくる




. *゚♡


あなたの毎日が

たのしく 

あたたかく

 

愛に満ちたものでありますように


. *゚♡



Make a beautiful life.。.:*・



.。 *゚+.* .。 .。+ . . 。 *゚ +


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