一つひとつの家族に かけがえのない母の日
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昨日は
長男が生まれてから11回目の母の日で
こころがもやもやして来て
苦しくなった
理由のひとつは
4年前に東京から和歌山に移住したので
東京にいる母に会ってお花を渡すことができないから
母のことを想って
もやもやしていたけど…
こころの奥には
無視しきれない
もっと巨大なもやもやがあって
それは
夫がこの世にいない母の日だからだった
長男が生まれてから0歳から7歳まで
8回も夫のいる母の日を体験できたわたしは
とてもしあわせだ
夫がこの世を旅立たれてから
もう3回も母の日がやって来て
その度に
とてもさみしい
とてもさみしい…
けれども
とても不幸ではない
「さみしいから不幸なんだ」と
「さみしい」という純粋な感情と
「不幸」という判断を結びつけたがるのは
外野の野次馬の意見だ
「ただただ さみしい」というのと
「不幸」とは
全く別次元で
幸福・不幸というのは
エゴの思考が決める相対的な価値判断に過ぎない
だから
「さみしい」という純粋なキモチを
感じることを
涙を流すことを
怖がる必要など
どこにもないのだ
. 。 . : * ・ ゜
長男の誠が生後6か月のときに
東日本大震災があり
原発事故による放射線量が高い3か月間
誠と授乳中だったわたしは
マンションから一歩も出ずに過ごしていた
そんな最中
誠が8カ月頃の
初めての母の日
夫がカーネーションを1輪わたしてくれた
わたしはとても驚いて
「わたしなんかがもらえる資格なんてないよ」
とか そんなことを言ったと思う
「いいのよ お母さんなんだから」
と言った夫の言葉はよく覚えている
だから
さみしくても
しあわせ
このしあわせが
どこかに消えてしまうことはない
土砂降りの雨に打たれて
泥がついていた母子草
泥が付こうと
ずぶ濡れになろうと
母子草のいのちはまっさらで
まぶしく輝いている
関東にいる母たちに
感謝をこめて描きました
トラ猫ちゃんから
お母さんにカーネーションを♡
いつも ありがとうございます
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たのしく
あたたかく
愛に満ちた毎日でありますように. *゚♡
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